バルトーク 民謡を「発見」した辺境の作曲家
バルトーク 民謡を「発見」した辺境の作曲家
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二十世紀最大の作曲家の一人、バルトーク・ベーラ(一八八一-一九四五)は、ハンガリーをはじめとする各地の民俗音楽の収集でも名高い。しかしその活動は、ともすれば作曲の余技や下準備のように思われてきた。本書は、ハンガリーが戦後の政治的混乱を脱して、ようやく明らかになり始めたバルトークの思索と行動を辿りながら、ヨーロッパの周縁文化の中で、彼がもうひとつのライフワークとして心血を注いだ民俗音楽研究を再評価する。
目次
はじめに
第一章 民謡の「発見」
文化的独立?
十九世紀の「ハンガリー音楽」像
ハンガリー音楽におけるナショナリズムの時代
交響詩《コシュート》の矛盾
中欧の音楽状況
ゲルリーツェ・プ スタで
コダーイとの出会い
第二章 民俗音楽収集旅行の時代―1906‐18年
一九〇七年夏、トランシルヴァニアで
収集の様子
仮説
ハンガリー音楽のヴォルガ河流域起源説の帰結
アラブ・ビスクラ地方への調査旅行
採譜、録音、写真
タームラップ
採譜の極限
編曲、出版
第三章 民謡コレクション『ハンガリー民謡』を読む―1919‐23年
第一次世界大戦後のハンガリー
国外脱出の計画
右翼からの批判
「文化的優越」という発言
博物 図譜 としての『ハンガリー民謡』
『ハンガリー民謡』の分類法
A/B/Cという三分類の判断基準
分類法の扱いにくさ
分類の意義
《舞踊組曲》
第四章 「ハンガリー音楽=ジプシー音楽」という通念をめぐって―1920年代
「ハンガリー音楽」という通念
《ハンガリアン・ラブソディー》の成立史
「ジプシー叙事詩」という コンセプト
「リストに関する諸問題」
バルトークによるリスト批判の骨子
真のジブシー音楽 とは?
ラヴェル《ツィガーヌ》
パリ、プルニェール邸での晩餐
イミテーションの美学
「まがいもの」のイミテーション
ファリャとの対比
バルトークの反応
バルトークの《ラブソディー》
第五章 晩年―1934‐45年
《ビアノ·ソナタ》第三楽章
科学アカデミーでの仕事 『ルーマニア民俗音楽』の分類
『ハンガリー民謡全集』における分類法の修正
コダーイのバルトーク批判
『ハンガリー民謡全集』出版までの経緯
移住の決意
出発
「南スラヴ民俗音楽』
アメリカでのバルトーク
死
あとがき
参考文献